存在驚愕〜THAUMAZEIN〜気づきの日々

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zoom RSS 【哲学】…唯識、言霊、インド哲学…

<<   作成日時 : 2017/02/04 17:16   >>

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インド哲学で、言霊を解く
これが昨今マイブームのトピック


言霊的に『過去』『現在』『未来』の命題を考え
インド哲学ベースで調理して味付けすると───


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あらえっさっさ〜

わら



時間の概念…過去:未来…は、頭の中にある。
本当にある時間は「現在」しかない。それを神道では『中今』

古代の言葉、サンスクリット語を習っていると、ふしぎーな感覚に気づく。言葉の中にある、時間感覚。古代では、今/今以外、の言葉しかないらしい。そんな不思議な!って…よく考えると、そっちの方が真実で、過去とか未来とかは「ない」んだって、気づく。古代の言葉がすでにそれを示していたこと。古代人の方が、現代人よりはるかに欲望が少なかったってことかな、と。

過去も未来も欲望といえば欲望と云える。
そんなものは、いまここにあまり関係がない。

インド哲学の主題で『真実』を定義する言葉がある。
曰く「過去現在未来に於いて変化しないもの」=真実

普遍ってことだね。
普遍である事が真実の定義。
時間でコロコロ変わってしまうものは真実では無い、というのである。
常に変わり続ける、人やモノやココロは、真実では無いと。
まあね〜、あたりまえと言っちゃ当たり前な。真実がコロコロ変わっては、それこそ不真実。

では、真実はどこにあるのか????

インド哲学的には、遍く存在していると説く。どこにでもあるというのだ。それを『意識』と。またはブラフマン…一番おおきなものより大きい…と名づけた。もしかしたら、神、という存在もそれになるかもしれない。サンスクリット語で「tat sat」〜それは真実〜

遍くと?どこにでもあるのに、なぜに認識できないのか?
私達はそれを知る事ができないのか。




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ここで出て来る言霊。っていうか神道の『中今』ナカイマ
それこそが、真実であり、意識であり、ブラフマンではないか。
と、私は分析した。言霊『オ』でね。これも概念だからね。
言葉という概念以上の真実の言葉があるとするのが言霊。

あ、そうそう、言霊を概念で分析するって
大変な「ツミ」となるらしい。
ツミ、とは「積み」概念を積み重ねていくことだから。
わたしのいまやっていることは大変な罪かもしれない。
と、思いつつ。

で、問題は、言霊の原理が3000年以上前に封印されたということ。
原理が封印されるって?それはどんなものが封印されたというの?

言霊が示す実在は、それそのものの言葉。
それは、今ここ=中今=意識=ブラフマンととすると、どういうことが起こる?
真実が封印されるということが、人間にとってどういうことなのか?


答えは、いまこの世界に起きていること全て。
人災、事故、人と人の軋轢、格差、戦争、あらゆる残酷な出来事、ぜんぶ。
二元論に陥ってる人は、なにか特別な存在が影から悪を支配してるのだと考えるようだけど、行っているのは全部『人間』がやっている。ほかのなにものでもない、人間が。神も悪魔も人間の内にあるのに、二元で考えると、善悪、光と闇、生と死、あらゆるものが二元であり、なにかいいしれぬ存在が居て、それによって世界は動いていると思うのだろう。でも、それは迷妄。やってるのは人間以外の何者でもない。責任は全て人間にある。神にも悪魔にもない。人間はその全ての責任を負わねばならないのに。それを神や悪魔に転化する。無責任。

人間であることが、どういうことか。
こころはなにか。
神とは何か。
神と言う、いまここが封印された。
そして、二元化という無知が産まれた。
(インド哲学では、無知こそが、全ての問題の原因であると説く)
『今ここ』が見えない為に、心は不安定になる。『』という地盤が無いので、根無し草/浮き草の様な頼りなさ、漂うのみの不安感が心を襲う。でも、なぜこんなに不安なのだろう?…その原因がわからない…。『不安』という気持ちだけが心を支配する。コロコロと無常に変化を続ける不安。その不安から寄る辺を求める事になる。何かにすがりたい気持ちで、さまざまな試行錯誤を生み出し、そして生み出したものでまたもや苦しむ。
その、終わり無き繰り返しを輪廻と呼ぶ…

精神的な人ならば、宗教や哲学や芸術に救いの道を見出そうとするかもしれない。
求道者たちはこのカテゴリ。

物質的な人ならば、目に見える世界のモノを頼り、身の回りを物質で固めて、安心を得る為に貯蓄をし、生活の基盤を作ろうとするだろうな。そのために、経済は発展する。世の人々は殆どこのカテゴリのひとたち。だから、この世界はひたすら「生産」と「消費」をくりかえす。
生産と消費の世界は苦しい。
なぜなら、自分達こそが、生産して消費されていくモノに成り果ててしまうから。
人間が、モノ、というサイクルの中で、産み、維持し、壊して、また再生して、維持して壊す。
そのサイクルに巻き込まれて、精神を健康に保てるわけがない。

反対に。
今に生きる事ができたなら、宗教も『モノ』も要らない。
至福の『今』のみがある。微笑みと満足の中に住む。

インド哲学で、シャンティ=平安(平和)とは
3つのエネルギーの均衡状態の『瞬間』という。
それは一瞬であるという。
3つのエネルギーの均衡があるとき、人は『いまここ』のみとなる。
その状態の説明に、インド哲学のユニークさが見える。

それは「欲望の攻撃の無い時間」

エネルギーの均衡があるとき、
ひとは「足りない虚無感で何かを欲する」ことがない。
全てが満たされているいまここに在ることができるから。
それは神との一体感でもあるかもしれない。
その時間が、悟りの時間。
でもすぐに、欲望の時間がもどってきてしまう…なぜか。なぜなのか。

仏教の行者は、瞑想に埋没して、無我を知るが、行から出て来ると直ぐに欲望がやってくることに疑問を抱き、なぜなのかと自答して『唯識』を編み出した。

いまここはどこへ行ってしまったのか?

その疑問で、心が全てを造っている…という唯識学派が産まれた。

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わたしたちの先祖は、その至福を隠した。
わたしがどーしても納得できないところ。
この暗闇の苦しみの世界を、どうして放任したのか。
ご先祖!わかりません!

でも

ひとつのこたえとして

人は暗闇ばかりではないことを知っているから苦しみ
その暗闇が、そうでないものを、光を教えるから
そのために暗闇があるのだと
その暗闇もまた光の一部ということを知れば

こころの鎖から解き放たれる
(経験してないから解らないけど、きっとそうなんだろうなとは思う)



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「娑婆」という言葉がある
仏教で音訳されたサンスクリット語。
ヨガのアーサナで『シャバーサナ』というのがある。死体のポーズという。
死体、地獄、いろいろな意味がある。
この世界は娑婆、娑婆世界、地獄世界、苦しみの世界。
それが、一転する。
苦界が天国になる。

大祓祝詞。こころの「下津岩根」…そこに「みやばしらふとしきたて」る。すると、地獄は天国になる。そこに大きく飛躍する言霊の原理を立てる。そこから、はじまる未来。心はこの変化の地獄から、天国へ昇り詰めて行く。
心が大事。
そうなんだなって納得。



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