存在驚愕〜THAUMAZEIN〜気づきの日々

アクセスカウンタ

zoom RSS 【神社巡り14】うぶすな神社

<<   作成日時 : 2017/02/04 19:08   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

かなり前にこんな日記を書いた。

【日記】干支や名やうぶすな神について
http://old-spirit.at.webry.info/201202/article_4.html

このときは、うぶすな神、と思っていたが、神社庁に問い合わせる時は「うぶすな神社」だった。
埼玉の神社庁の方はとても慇懃無礼に「産まれた場所の氏神様ですね」と答えてくれた。
昨今、この手の問い合わせが多くて辟易している、と言わんばかりの応対。
人徳ないですね。神職じゃないのかな?

うぶすな神については、時々意識に持ち上がっては、沈下して、なかなか問い合わせるまでいかず。
で、今回また盛り上がってきたので、その勢いでやっと神社庁に電話したというわけ。

他の流れもあった。
今年の年賀状に「櫛田姫」を描いたので、その勢いで茨城の櫛田神社にお参りしようと決めた。
電車の時刻を調べて、地図と場所を確認してさあでかけよう…と、思ったけども、腰が上がらない。なんでかな〜と、思って、そのままになった。
そして、神社庁に問い合わせたうぶすな神社は、産まれた土地の氷川神社。祭神は、スサノオ命とクシナダ姫。。。。そうか、これだったのか。と、妙になっとく。
画像

そういうわけな、いろいろないきさつを経て、やっとうぶすな神社に詣でる。


場所は「ふたつみや」という町名

「ふたつの宮」というのは、氷川神社が「男体社/女体社」がセットになっている事が多く(埼玉県大宮の、氷川神社は男体社/女体社と中山社があって、これがオリオンの3つ星を地上になぞったものであるという説もある、そのふたつの宮のこと)そこから『ふたつ宮』という地名が出来た。
で、時代が下ると、女体社の方が、別の『鍬神社』と合祀されて、こちらも『氷川鍬神社』となり、上尾宿の鎮守となった。



という前置きをしてから…

画像

あいかわらずシャメが
わたしの状態に反応してしまい
この色になってます
…そして…
扉は閉まっている!



【氷川神社】
上尾市二ツ宮866
http://www3.plala.or.jp/hikawa/jinja/top.html

祭神
素盞鳴尊(スサノオノミコト)
稲田姫命(イナダヒメノミコト)
大國主命(オオクニヌシノミコト)



上の日記に書いた様に…「鑑定士という方に見てもらわないとわからない。とか。。。でも、自分の足で確かめるのが一番確信できるので、それがよいそうです。自分のうぶすなさまにお参りすると、やっぱ、しるしがあるようですし、シャンティな気持ちになる〜」…とな!

しるしかあ…扉、閉まってるし。

ここじゃないのかなあ。

摂社の豊受神の社の方が、なんとなく惹かれるけども。わからない。


実は、ここは私の幼少時のとても深い思い出の場所。ご縁がないことの思い出なんだけどね。
この神社は幼稚園を経営してて、氷川幼稚園というのだけど、私の上の二人の姉はどちらもこの氷川幼稚園に入園している。で、三人目の私が産まれたとき、家は経済的に苦しくなっていて、私は近くの保育園に通ったといういきさつ。子供の頃は、氷川幼稚園は私の夢の国のような憧れの場所だった。
そんな、あまずっぱい小さな私の心の事を、今回の件で思い出した。
すっかり忘れていたこと。
小さな私が、思い出して、とささやいたのかもしれない。

境内でぼんやりしていると、幼稚園児が入って来て「かみさま、おはようございます!」と大きな声で挨拶して去って行った。う〜む。尊敬されているようだが。私には縁がないのかな〜




で、この勢いで、氷川鍬神社にも行ってみることにした。いや、最初からそのつもりだったけど。




そして

こっちは扉が開いている♪
画像



上尾宿のメイン通り、中山道沿いに鎮守してるので、お参りする人も多し。来る人拒まず的な解放を感じる。。。そして、お天気雨がぱらぱらと。。。これがおしるしでしょうかね。わかりませんでしたが、なんか歓迎されているような気持ちにはなりました。

画像



【氷川鍬神社】
上尾市宮本1-14

祭神
豊鍬入姫命
稲田姫命
菅原道實公
木花之開耶姫命
應神天皇

この神社は不思議な謂れがあって、まずこれを。
画像

------------
氷川鍬神社は上尾宿の総鎮守とされ、江戸時代には鍬大神宮や太神宮と呼ばれた。
神社の創始は、童子が警護する御神体の入った櫃を、中山道の街道筋の人々が「鍬踊り」を踊りながら宿場から宿場へ送り継ぎ、最終的に上尾宿に鎮座したので祀ったという伝承がある。天明八年には、神社の境内に聚正義塾が建てられ、上尾宿の人々の教育機関として多くの人々が出入りした。また、当時の絵図には、神社の周辺に本陣・脇本陣や問屋場など、宿の主要な施設が集中しており、この辺りが宿の中心地だったことが分かる。
江戸時代に宿場として整備された上尾宿は、明治時代になると高崎線や馬車の整備によってさらに繁栄した。神社は、明治四一(1908)年の神社合祀で、二ツ宮の氷川神社のうち女体社を合祀し、氷川鍬神社となった。
このように賑わいを見せた上尾であったが、宿の大半の建物や記録は、江戸時代末から明治初頭にかけて起こった3回の大火や老朽化によって失われた。しかし、今でも当時の名残を見出すことができる。屋根の上の鐘馗様は、大火の際に屋根に鐘馗様のあった3〜4軒の家が火事を免れたため、その後火伏として流行したと言われる。また、通り向かいの家の鬼瓦が、自分の家の方向を向いていると良くないため、鬼より強い鐘馗様を載せたともいわれている。上尾宿内の呼称である上宿、中宿、下宿は、後に上町、仲町、下町となり、この町名や地区割りは、上町はそのまま、仲町は仲町と宮本町に、下町は愛宕として今でも残されている。

------------
画像

------------
氷川鍬神社は、「武蔵国足立郡御鍬太神宮畧来」によると百九代明正天皇の御代、寛永九年(一六三二)の御創立と伝えられます。
御祭神は豊鍬入姫命・稲田姫命・菅原道實公・木花之開耶姫命・應神天皇の神で豊鍬入姫命は悩める人苦しむ人の胸中を知りその人のため救いの手をさしのべてくださる神であり、疫病除け、招福、豊作の神であります。
稲田姫命は須佐之男命の御妃で限りない慈しみと深い母性の愛を表わされる神であり、菅原道實公は学問の神として、木花之開耶姫命は浅間さまの神さまで、大山祇神という尊い神さまの御子神さまです。應神天皇は文化神としてのご神徳を持っておられます。
氷川鍬神社は上尾宿総鎮守として広く世人の崇敬を集めた古社であり、通稱「お鍬さま」と呼ばれております。
氷川鍬神社の名稱になったのは明治四十一年(一九〇八)の神社合祀以後のことで、それより以前は「鍬大神宮」という社名であった。

------------
三人の童子が鍬二挺と稲束を持ち、白幣をかざし踊り歩きながら上尾宿に現われたが童子たちは何処かに消え失せ、残された鍬を林宮内が祀ったのが鍬神社の始まりであり、万治(1658-60)の頃の事と伝えられると記されている
気になる…この「ええじゃないか」的、鍬踊りの童子…
------------

ちなみに、豊鍬入姫とあるけど、古事記では「豊鋤入姫」
鍬と鋤、何だろうか、この相違は。似てるようで違ってて、違ってるようで似てる。
調べてみた。
『鋤』は、日本語で「掬う」という言葉があるように、すくいあげる感じで使う。スコップのようなもの。
『鍬』は、上から振り下ろす感じで使う農機具。くわえる、の日本語のような感じかも。
で、さらにいろいろシンクロしてる内に解った妄想ネタがあって。

牛頭天王(スサノオと習合)の奥さんと言われる人が、ハリサイニョ、と言う。この語感がサンスクリット語っぽいと妄想して、調べたら、ハリシャ、ハリー、などは鋤の支柱を指す言葉だそうで。思わぬ所で鋤に出くわし、びっくりして妄想が膨らむ。(ちなみに、サンスクリット語では、hariとhaliでは大分意味が違う。調べたのはhalisyaの方)もともと、インド由来の女神らしいので、それが日本神話と習合した結果、櫛田姫が鍬の意味のあるハリサイニョに転化したのかもしれない。。。。
だって、櫛も鍬も鋤もなにか似た動き、動詞から来てる言葉っっぽいから。
くし
くわ
すき
稲作

なんだろうね?
渡来からの流れでござる。
因に、氷川鍬神社ご祭神の応神天皇は、渡来の神とも言われている。
渡来がみょーに匂う流れなのでのであった。。。。まる。

江戸時代〜明治時代にかけて、神仏分離の流れの中で「スサノオ=渡来」説があったそうだ。
なるほどね。

言霊的に見ると、日本から出て行って、また戻って来たってことになる。
高天原日本から黄泉国の外国へ行って(>日本神話)、そしてまた応神の頃戻って来た。
だよね。大国主も、国ゆずりのあとに外国へ行っている。この相似も不思議だ。
大国主〜スサノオは同じ系統なのか?やはり?




そうそう。渡来の流れで、埼玉は渡来系と縁のある土地。
去年、高麗郡建郡1300年というイベントが近場であり、講座に参加したり、発掘された遺物を見たり。。。。そんな流れもありつつ。
最近は、博多出身の友だちが、櫛田姫とのご縁ありげで、いろいろ繋がっっていく。

この流れで、またまたすごく行きたくなった、さいたま市の氷川女体社。
あそこの縄文祭祀跡は、筆舌に語りがたいなにものかがある。
おしえたくない秘密のスポット。それも都会で行き易い(都会にしては交通不便だけど)
御岩神社よりはいいよね〜何時再訪できるのかしら、御岩神社。。。。

氷川女体社の、あの縄文祭祀跡と氷川の神とは、どんな関係なのだろうか。渡来が縄文の祭祀を引き継いだのかな。もともと縄文が使っていたものをそのまま祀ったのかも。妄想とまらず〜っ



付記
埼玉県大宮市にある氷川神社を本社とする同一名の神社分布として『氷川祭祀圏』があり、その多くは元荒川から多摩川地域に分布している。埼玉県一六二社、東京都五九社、茨城・栃木県に各二社、神奈川県・千葉県・北海道に各一の計二二八社がある。氷川神社の祭神は素盞嗚命・稲田姫命・大己貴命の三神である。いずれも出雲系の神で、古代武蔵の出雲系の首長が祀ったためといわれている




つまり出雲系。出雲だからスサノオを祀る。で、渡来。渡来人が信仰していたのがスサノオ。ということよね。百済だったか、新羅だったか。高天原日本から出て行って、黄泉の国を経て戻って来た神。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
【神社巡り14】うぶすな神社 存在驚愕〜THAUMAZEIN〜気づきの日々/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる