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zoom RSS 【神社巡り15】氷川女體神社

<<   作成日時 : 2017/02/22 15:11   >>

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荒川を地上の天の川に例えて
オリオンの三ツ星のごとく並ぶ
 大宮氷川神社
 氷川女體神社
   中山社

いにしえの、沼地に龍が住んで
人がその龍神を祀る神社を建てた

それが、氷川のもともとの地の主の神という


また、この氷川女体神社と氷川神社、同区内の見沼区中川にある中山神社の3社は直線上にあり、太陽は夏至に西北西の氷川神社に沈み、冬至には東南東の氷川女体神社から昇るという、稲作で重要な暦を正確に把握するための意図的な配置となっているとの説もある。

「見沼」は、三沼・箕沼・御沼とも表され、Y字型3方向に湾曲して伸び、岬や入江も多い複雑な地形であった〜ということです。みぬま、ね。水沼。水の深い。



『三室氷川女體神社』
当社は崇神天皇の御代に出雲杵築の大社を勧請した古社で、 武蔵国一宮として見沼のほとりに鎮座している。主祭神は奇稲田姫命で、 大己貴命と三穂津姫命を配祀している。当社の御手洗瀬である見沼を囲み大宮氷川神社(男體社)、 大宮中川の中山神社(簸王子社)とともに三社深い関係にあり「三室」を伝えてきた。 古代、女神を祀ることや社殿が東方に向いているなど、その創立の由緒を偲ばせている。 中世以来、武門の崇敬を集めており、これらに所縁のある宝物も多い。 徳川家康から拝領五十石を寄せられ、また徳川家綱によって現存する社殿も建てられた。 古来からの御船遊神事は見沼干拓後、磐船祭として行なわれ、その遺跡が現存している。 また、暖地性植物が繁茂する社叢は、天然記念物であり、故郷の森にも指定されている。


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2012年の参拝の日記
http://old-spirit.at.webry.info/201205/article_2.html




【氷川女體神社】
さいたま市見沼区宮本町2丁目

 祭神
奇稲田姫

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氷川女体神社は、県内屈指の古社で大宮氷川神社とと もに武蔵国一宮といわれてきた。社伝では、崇神天皇の 時につくられたと伝えられている。
祭神は奇稲田姫命で、大己貴命と三穗津姫命が合祀さ れている。
大宮の氷川神社(男体社)、大宮市中川の中山神社(簸 王子社)とともに見沼とは深い関係にあり、祭礼の「御 船祭」は見沼の御上で行われていた。しかし、享保一二 年(一七二七)に見沼が干拓され、これに代わって出島で 「磐船祭」が行われるようになった。
この氷川女体神社には鎌倉、室町時代の社宝が多く、 三鱗文兵庫鎖太刀(国認定重要美術品)、牡丹文瓶子(県 指定有形文化財)、大般若波羅蜜多経(同)、神輿(同) は特に著名である。
江戸時代には社領五〇石が寄進されており、現本殿は 徳川家綱によって再建された。
また、境内の社叢は市指定天然記念物であるとともに 県のふるさとの森として保護されている。


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武蔵国一宮 氷川女體神社の道標
もともと、赤山街道沿いの大間木水深(浦和)の地にあったこの石碑には「武蔵国一宮」「女體宮道」とあって、幕末の弘化二年(1845)に当社への道しるべとして赤山街道に面して建立されたものです。
また、当社から北西約四百メートルの住宅地の中には石作りの鳥居がありますが、これは安政二年(1855)に、馬場方面から参詣する人たちの便を考えて、大門宿の石工に作らせ、氏子たちが奉納したものです。
幕末の頃に相次いで建てられたこの石碑や鳥居は、建立する必要に迫られるほど、当社への参詣客は非常に多く、篤い信仰をえていたことを物語る貴重な資料となっています。

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氷川女體神社社叢
氷川女体神社は武蔵国有数の古社で、大宮氷川神社とともに武蔵国一宮を称していました。かつての見沼に突き出た小舌状台地に位置しており、見沼とは非常に関係の深い神社でした。
 社叢は、クスノキ、タブノキ、シラカシ、モチノキ、サカキ、ヒサカキ、ネズミモチ、シロダモ、チョウジカズラ、ビナンカズ
ラなどの自然林の常緑広葉樹を中心に構成されています。
 下草にもキチジョウソウなどの暖地性のものが見られ、境内は暖地性植物の群生地といえます。また、スギも樹齢三百年を越える大木が見られます。
 なお、この社叢は、さいたま市の「保存緑地」にも指定されています。
1 海の入り江の時代(縄文時代)
2万年前の氷河期の海面は現在よりも120m低かったと言われています。その後の急激な海面上昇(縄文海進)により海面は現在よりも3〜5m難くなりました。その頃、現在の見沼たんぼの場所は東京湾の海水が入り込む入り江で、この時に退席した土砂により見沼たんぼの低地は形成されました。
2 沼、湿地の時代(弥生時代〜1628年)
約6000年前を境に入り江が後退し、荒川の下流が土砂で次第に高くなり、東京湾と分離した沼や湿地となりました。
3 溜井の時代(1629〜1727年)
3代将軍徳川家光は、幕府の財政的基盤として水田確保のため、伊奈半十朗忠治に見沼を灌漑用水地とするように命じ、八丁堤によりせき止め平均水深約1mの溜井が完成しました。


鳥居下、つまり低地にあたる沼地のあったであろう方角に、『御船祭祭祀跡』がある。
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御船祭
祭祀は御船祭と称し、隔年の9月8日に見沼に坐す女神に対して行われた。まず神主は垢離取りと呼ばれる潔斎を荒川で行う。当日は、神輿船に鉾を立て神輿を載せて見沼を渡り、餅・小麦御飯・神酒を献じて祭祀を行った。

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能舞台の、この世とあの世の境目のような場所。
…千引岩…?道返之大神:黄泉戸大神、という神話的呪示なのかも。
妄想。笑。
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妄想が、こころはやるくらいにここは神秘的。表現のしようもない。

山ではないのに、とても行きにくい場所にある氷川女體社。
実はあまり人に教えたくない。


で。やりのこしたご朱印帳を持って、また出掛ける予定なのでした!
神主さん常駐じゃないんだよね。るすばんのおばあちゃんがすまなそうに説明してくれました。

ということで。

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