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zoom RSS 【インド哲学】一切人火

<<   作成日時 : 2017/02/23 19:53   >>

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~サンスクリット語は古代語~と言っても差し支えないだろうか。

自然言語は、だいたい100年で変化する。その、自然の変化を止めてしまったのがサンスクリット語。
変化を止めた故に、古代のままの姿で言語が残っている。
何故そんな事が可能だったかというと、紀元前4C頃のパーニニという文法家が、変化していく言葉に危機感を持ち、言葉を類別、整理し、体系化して残した。
 『アシュターディヤーイー』
という。
日本でいうなら、弥生〜縄文の言葉がそのままの状態で残されていることになるかとも思う。そして、古代語を学ぶ中で解って来たのは、その時代の空気が言葉の中にタイムカプセルとして残されていることだった。
古代まで、肉体と脳味噌を巻き戻さないと、なかなか理解できない。

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中央アジア
レリーフ


たとえば。
時間の単位。現代の人が当たり前に使う時間が、古代人の感覚と全く違う。
一日の始まりは日出。行為(動作>動詞)のある時間、つまり起きて肉体を使っている時間が、今日という日。そして、今日を明日という時間と分けるのは「眠り」!!!眠っている時は、行為が無いから。カウントしない。眠りが時間の境目。
画像


インド神話で、ブラフマ神の眠りはマハープララヤと言って、世界は消滅する。日本語で「億劫」おっくうだ、と言うその億劫の時間の後に、ブラフマ神の昼の時間が終わり、眠りの時間がやってくると、世界は滅ぶ。そしてまたブラフマ神の起床と共に世界は始まり…っっというのと、人の一日も同じってこと。
人は毎日、新しい人生を始め、眠りと共に人生が終わる。
そして目覚めてまた新しい人生を生き、終わり、眠る。

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なので、サンスクリット語は「本日中の過去」という分けの解らない時制が出て来る。古代の人の生き方が解らなければ、解らない。
古代の人にとっては、昨日も、何億年前も、同じことなんじゃあないだろうか。
時間と言うものは在ってなきが如しということを、見抜いていたに違いない…
大宇宙も小宇宙も同じであり、繋がり影響し合い、渾然一体となり、今という瞬間を作っている。
だから、昨日も数億年前も、前のブラフマ神の時代(86億4千万年より前)も、億劫の時代も同じ過去。
果てしのない繰り返しがあるだけ。

ちなみに、四つの時代(ユガ)は12000年周期。神の1日は、人間の1年。神の1年は、人間の時間に直すと432万年、1マハ−ユガ。1千マハ−ユガが「ブラフマ神の1日」
こんな気の遠くなる数字を割り出すインド人だけども、結局、昨日もブラフマ神の昨日も同じなんだわ、きっと。くくく、気がおかしくなりそうじゃ。


「再帰的」と言う言葉がある。
古代人は、再帰的に、毎日同じ事を繰返し、生成来滅を日々の中で行っている事を自認していた。現代人にはまったくムリな思考。
古代人は、星の巡りがそれと同じ様に再帰していくことも解っていたので、それを基準に生活も行った。古代の人はどこの地域の人も同じと思う。
生活の基準が違う。
生活の基礎の哲学が違う。
その基礎の哲学は、あらゆる科学の基礎となりうる、自然観察の上にある。
なので、とても普遍的。
この普遍性を今に生きる我々が、どう参考にできるか。
古代に見習い、その生き方を、自らのものにするには自然に習う以外にない。

というわけで、山に行くわたし。
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秩父 四阿屋山
(四年前?)


あ。しまった。表題の『一切人火』だった。

サンスクリット語「バイシュヴァーナラ」vaizvaanara वैश्वानर =『一切人火』
というのは「消化の火」のこと。
消化の火っていうのは、アーユルヴェーダでは「消化酵素」のことらしい。体内に存在する五大元素の中の、火の要素は『酵素』の形で肉体に存在している。酵素というけれども、もっと深い哲学的な意味がある。

【bhagavad giitaa15-14】
私は一切人火となり、生類の体に宿り、プラーナ気とアパーナ気に結びついて四種の食物を消化する(バガヴァッドギーター15章14節)

「私」とは、クリシュナのこと。つまり、神。神はどのような形で、体内に居るかというと、消化の火として居ますよ、と教えている。

アグニ(火神)の別名のひとつに、ヴァイシュヴァーナラがあり、ヴァイシュヴァーナラは一切人火と訳され、すべての人の中に存在して、食物を消化すると考えられています(上村勝彦訳、バガヴァッド・ギーター、岩波文庫、p207参照)

また
【bRhadaaraNyaka upaniSad 5-9-1】
人間の内部にあるものは、一切人火である。それによって、この食べられた食物が調理される。こうして両耳を蔽うと聞こえるのは、〔調理をしている〕その〔火の〕音である。人が〔この世から〕出立しようとするときには、彼は〔もはや〕この音を聞かない(ブリハッドアーラニヤカウパニシャッド5-9-1)


と説明されている。消化が起こるのは、そこに火があるから。
(=化学反応)
火によって、食べ物が変換されエネルギーになって、肉体を支える。
そして、日々の生活も火によって支えられている。重要な要素。

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そして、ここからが本題。
私達は、日々の食事を作るけれども、作っているのは『火と水』であって、料理者がする事と言ったら、材料を集めて、切ったり洗ったり分けたりする…つまり「準備」だけ。
(「準備」をサンスカーラと言う…サンスクリットを学ぶ人なら、このことに衝撃を受けるにちがいない)(プージャの準備もサンスカーラ)(この人生を作る準備をしたのも?)
本当の調理者は「火」
これがまた、古代の言葉にはそのまんまある。読むだけで、材料を用意している者と調理している者が別の存在ってことが解る仕組みになってる。
すごい。
思考がぐるんと一回転するくらい衝撃。
古代人には叶わない。
まったく足下にも及ばない。

こんな思惟の上に生活していた精神性は、現代人と比べ物に成らないくらい崇高だ。。。。
画像

日々の生活の中で、所謂「凡夫」が〜自己〜と思って行為していることの半分以上は、彼がやってはいない、という事実の衝撃。
やっているのは、五大要素が自動でやってる。
(文法で、自動詞:他動詞っていうトピックがある)

五大が自動でやっていることを、現代人は「自分がやっている」と思い込んでいる。。。。
生きていること、それ自体でさえも、五大がやってる。
人は生きようとして生きているわけではなく、五大の働きがあって生かされている。

     衝撃

それは、イノチカラ。命の力。イの力。言霊「イ」…父韻であり、親韻でもある。命の大本。創造意志。
本当の行為者は誰か?
これはインド哲学のトピック。
エゴは「私が行為者である」という。
それがそもそも違う。ということを、エゴ=アハンカーラという言葉が教えている。アハンカーラとは「私が行為していう」という意識のことを言う言葉だから。
そもそもの勘違いが自我意識。
でも、その自我意識があったからこそ、科学文明が発達した。
「自己」という幻が、他者と自己を分け、競争社会を造り出す。
それが、言霊陰没の理由。

ながいながい年月、自己と言う幻で、人類は生きて来た。
でも、それももうおわりに来てる…

ながいながいマーヤーの時代



画像
わたしは
いつから
「わたし」だったのだろう


それは、無始である、とインド哲学では教える。
「自我意識」というのは、無知そのものであり、始まりが無くある。それを打ち破るのは「知識」(智慧)のみ。叡智の光によって、無知の闇が払われた時、自我意識が宇宙に融けて広がり、存在そのものになっていく。

古代の言葉から、そんな思惟に発展した私の思考。
わたしは居ないが、わたしが区別している意識があり。

思考の思考のそのまた思考。



   不思量底を思量せよ
    不思量底とは如何
     非思量である

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
すごーい。なんかすごいよ。
難しいけど、ブラフマンがいつも気にしてしまう響き。レリーフの写真は羊かな?
ちょうど羊のこと書いてた。笑
ホツマのナは、女性のことだそうで、シュメールで羊は、○に十字なんだとか。
友達が、昔の十字かは、横ぼうはもっと上にあったのが、今は下の方に落ちてきて中心にあると。それは時間軸のことをいっていて、いずれは下に来るのかな?

果てしない時間の旅をしているようだわー。
なかじゅん
2017/02/24 22:56
じゅんさん>横瀬の天狗まつりの冊子、とっといて〜欲しいから。梵天の写真もあったよね。おもしろいね。
レリーフは羊と思う。
サンスクリット語より前の言葉『ヴェーダ語』を使っていた人達は、今のアルメニアの当たりに居た人たちらしい。羊は飼ってなさげだけど、羊は中央アジアっぽいよね。
十字架…ケルト十字とかは、縦横同じ長さっぽいよね。つながりある???

時間の旅は繰り返しの旅でもありそう…昔を調べればこれから起こることもわかるかも。。
LEIKO
2017/02/25 16:43

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